私もか、発達障害。(ADHD)

母:身体障碍者 弟:知的グレーゾーン 父:いまのところ何もなし 私:三十路超えてADHD発覚。二次障害のうつと咀嚼しきれないADHDという言葉に翻弄されながらなんとか生きてる人間のつれづれなるままに。

本日のおはなし:やりたいことが無くなるとADHDは心が死ぬという個人的考え。2

のちのち統合します(覚えてたら)

眠れなかったので更新。どこまで書きましたっけ。小学校のクラブ活動の話かな。

 

小学生で演劇というものの面白さを知った私ですが、中学校に演劇部が無かったために、合唱部に進みました。小学校高学年で始めたバスケ(背が高かったというだけで誘われ、頑張ったもののそんなに上手くはならなかった)や、吹奏楽とも迷ったのですが、新入部員候補が私一人という状況だったので……他のとこ行くと罪悪感が……。まあ、初日から合唱部の見学行ったぐらいなので、やっぱり合唱好きだったんでしょうけれども。

その後、なんやかんやありまして。中学1年三学期ぐらいに不登校に。

なんやかんやは一言で言えばいじめられっ子だったってことなんですけれども、コレ書き始めると根が深くて大変なので今回は割愛。

クラス変えをして2年生からはまた学校に行けるようになりましたが、最初の頃は行けたり行けなかったりを繰り返しましたねー。

でもまあ大分元気になって来た頃に、個人的な大ニュースが。

 

当時好きだったアイドルが、自分の夢を叶える為に脱退するという……これ書いたら年代ばれるな!!

 

まずはショックを受けました。

しかし、それ以上に感銘を受けました。

そうだ、私には夢があるんだ。あの人が自分の夢を追いかけたように、私も追いかけたい。

 

そして、偶然入手した児童劇団のチラシ。

 

「私ここのオーディション受けたい!」

 

中学生というのは正直入団するには遅い部類だったようなのですが(中学いっぱいで児童劇団の所属から外れるので、同じ系列の高等専修学校(?)に入るなら……といった具合)私はここに入るんだという気合いで突破しました。

学校も行き、部活もやり、劇団も通う。

……劇団に関しては遅刻やおやすみをすることも結構ありましたが、そんなこんなで突き進み、高校も系列の学校に。

多分普通の高校にも入れたんですが、その頃には「私は役者になる」と心が決まっていたので、それ以外の勉強をする意味を見いだせなかったんですよね。

 

高校では芝居に加え、音楽やダンスなども習いました。ここで、私はギターに出会います。(ドラムも楽しかったけど)

うけたい人だけが受ける授業みたいな感じでギターを習い、なかなか上手くならないながらも、音楽が好きという欲求がむくむくしてきていました。

また、芝居の方は学校で発表会みたいなのがあり、自分で台本書いたり音響素材をあつめたり、友達の芝居の音響を引き受けたり色々やってました。

しかし、2年生の時大きな挫折を味わいます。

毎年行われる卒業公演、どうしてもやりたい役がありました。

そもそも、役に選ばれなければ卒業公演の練習中に芝居の練習を行うことは出来ず、(ミュージカルだったので)ダンスの練習だけを行うことが決定しており、私はどうしてもその役に選ばれたかった。一番のネックはダンスだったけれど、懸命に覚えました。生来の真面目さで一生懸命課題に取り組んだつもりでした。

 

でも、選ばれたのは真面目に授業を受けていない別の子でした。

 

上手くなりたいという気持ちも、やる気も自分の方が上なのに、何故……と落ち込みました。その子が練習めんどくさがっているのが、さらに嫌でした。やる気がある子が選ばれたなら納得がいったと思います。

ここで学校に不信感を抱きます。

この学校では、努力をしても見て貰えない。

 

2年の終りに、演劇学科のある大学の入試に挑戦すると心が決まりました。

 

……さて。

この時、実は少し迷いが出てきていたんですよね。

音楽が楽しい。でも芝居も好き。……果たして本当に好きなのはどちらなのか。

芝居一本できていたら、大学なんていう高望みしなかったと思います。けれど、揺れてしまった。本当にお芝居が好きなのか、分からなくなってきていました。

 

猛勉強はしましたが、元々勉強に力の入ってなかった学校に2年も通っていたので、当然のように大学は落ち、フリーターをしながら専門学校を探すという進路が確定しました。

フリーターをしながらバンドを組んでみようと画策しました。

失敗しました。

専門学校を見に行きました。

芝居一本で突き進む覚悟が持てませんでした。

 

夢を一旦、諦めました。

パソコンを習い始めました。我流で使っていたワードとエクセルを習っている間に飽きがきて、自分が本来習いたかったホームページ作成やプログラミング的なところまで行かずに行けなくなりました。

 

その頃、私は新しい「表現」の場を見つけだしていました。

それは、文章を書くこと、でした。

作文が大の苦手だった私は、今まで文章を書くということをまったくしてこなかったのですが、それが良かったみたいです。

パソコンという文明の利器を使って、物語を書き、友達に送り付けたり、ホームページを作成して載せたりしていました。

二次創作の同人誌でしたが、本も作成しました。

 

それと大体時期を同じくして、芝居をやりたいという熱が再度湧き上がってきました。

小劇団の芝居を見に行ったりして、凄く気に入った所の新入団員オーディションに飛び込みました。興味を持ってもらえ、役をもらえることになりました。

沢山練習をして、舞台に立ちました。

他の団員さんと比べたらへたくそだったけど、お金を取って芝居をするということを体験しました。

 

そして当時、恋人が出来ました。

……遠距離の上、同性という非常にいびつな恋人関係でしたが、初めて「自分の事を一番に考えてくれる人」と出会えた気がして、凄く嬉しかった。

ですが、彼女が自分と同じ地域で就活を始めると聞いたときに、本当にこれでいいのかと心から悩み、彼女の一生を背負うことはできないと考えて、別れました。

 

そこで、大きな喪失感を感じ「ああ、もう私やりたいことやり切った。からっぽだ」となり、なら死んでもいいかなと手元にあった薬を全部飲むといういわゆるODに走りました。

 

まあ、ODぐらいで死ぬことはなく。

 

その後はうつうつとしながらも、やりたいことを探しました。

とあるWEBサービスで文章を書いてお小遣い程度のお金をもらえるようになりました。

私には文章が残ってる。そう感じました。

しかし、当時勤めていた仕事がしんどくなって、引きずられるようにWEBサービスの方も出来なくなりました。

 

その後、原点に帰ろうと好きなものの近くで働くことを考えました。

実家近くのCD屋で働くことになり、色々あったものの、社員さんと同等の仕事を任せられるようになりました。

この仕事は長く続いたものの、最終的には人間関係的なもので調子を悪くしてやめることになりました。

 

けれど、音楽のそばで働きたいという気持ちはその時はっきりと自覚をしました。

 

その後、もっと音楽に近い場所でと考えライブハウスで働こうと画策するも、すでに年齢も良い年齢になっていたので、応募できる所すら少ない状況。

色んな方面からライブハウスで働く方法を考えたものの、ある道では無理と言われ、ある道でやるには時間とお金がかかりすぎ、とりあえず都内に住んでダブルワークと考えたものの発想が突飛すぎて空回りし。

 

今は、その夢も無理だと感じています。

 

いろんなことをやってきました。中途半端にではありますが、いろんなことをやってきました。

やりたいことはやりつくしてるんじゃないかと考えるようになりました。

 

やりたいことが、なくなりました。

 

そこに、ADHDの診断が加わりました。衝動的に動いていたということを知りました。

やりたいことに向かって、とりあえずぶつかりに行く、ということが出来なくなりました。

 

それが、現状うつうつとした状態から抜け出せない原因の一つになっている気がします。

心が死んでる感じなんですよね。

やりたいこと大体やったし、もうなんにも残ってない。そんな感じ。

 

思えば、元気な時はではありますが、エネルギーに満ち溢れた人間でした。もともとは。

 

やりたいこと、見つかればいいなぁと思いつつ。

心が活動を停止したまま、生きています。

からっぽだなぁ、なんて思いながら。