私もか、発達障害。(ADHD)

母:身体障碍者 弟:知的グレーゾーン 父:いまのところ何もなし 私:三十路超えてADHD発覚。二次障害のうつと咀嚼しきれないADHDという言葉に翻弄されながらなんとか生きてる人間のつれづれなるままに。

本日のおはなし:親にどうして欲しかったのか、私の場合。

 さいきん、こちらのブログさんを読みまして。

syakkin-dama.hatenablog.com

 

こちらを読んで、あーうちは発達障害等を抱えた子の家としては理解のある良い家庭だったんだなぁ、と思う反面

そんな理解ある家庭にたいしても、不満がない訳じゃないんだよなぁ……とも思ったので、我が家の場合を書いてみようかと。

 

発達障害を持つ人にとって、家庭の環境っていうのは大事だなぁと常々思います。

親御さんに理解がある、なしがその後にとても影響を及ぼす、と個人的には思っていまして。そういう意味では、我が家は非常に理想的な一家だったようにも思っています。

母親が身体に障害があり、子供の頃苦労はしたもののなんやかんや頑張って普通に暮らしてた(というか、バリバリ普通の卓球部とかでもハンデ無しでやってた)こともあり、理解がある上に自由に楽しく生きさせたいというポジティブシンキングな人でした。

父親は仕事の関係上土日休みではなく、基本的に子供たちには干渉しない親でした。

干渉しないとはいっても、こう(私にとっては)見守ってくれている感じで、ここは大切だという所ではちゃんと「なぜダメなのか」を説明してくれる父でした。

結構なんでも受け入れて楽天的に物事を進める母と、大事な所だけ叱るというより駄目な理由を説明してくれる父。

夫婦喧嘩もそんなに激しいものはなく、(父が甘えたなので)はたから見ても凄く仲睦まじい両親です。

 

そんな両親の元、私はすっくすっくと成長していきました。やりたいと言ったことはやらせてもらえて、自分のやりたいことを大体OKしてくれる母と父。

習い事も沢山しましたし、本当にのびのび育ててくれたと思ってはいます。

 

では、弟に対してはどうだったのか。

小さい頃から知的な遅れが判明しており、早い時点で母親が動いていました。弟は嫌がっていたけれども療育にも通っていたし、幼稚園も普通のとこと特殊なとこ二か所に通っていました。

うちの両親は私と同世代の子の親御さんと比べるとちょっと若いのですが、それこそ今の私の年齢より若い時点でわが子の障害を受け止め、それでもできるだけ普通に、けれど弟が生きやすいようにと、親の会などに入っては情報交換を行い手を尽くして行動してた事を考えると「すげーなー」としか言いようがなかったりします。

母親の手が弟でいっぱいいっぱいになっていたのは事実ですが、その分私のフォローは父親がしてくれていたようです。よって、私は素晴らしく父親っ子に育ちました。

家族旅行とかも沢山行きましたね。母も父も子思いの良い両親だと未だに思っています。

 

また、私のフォロー役が父だったとはいえ、母親が嫌いになったことはなく、むしろ私は「母親をサポートするのだ」「これ以上母に負担がいかないように」と思いながら生きていた気がします。

その頃はやりたいことがはっきりしていたので、それに突き進んでいくことで自分のやりたいこともやらせて貰っていました。母親と二人で旅行とかは無理でしたが、イベントとかでコレ行きたいと言えば大体行かせてもらえてました。一人でしたけど。

 

自分の意識の中でも我が家は平和だったし、良い両親だったし、はたからみても良い家族なんじゃないかなと思いはするのです。

母親の教育方針が「自分で考え自分で進む、伸び伸びそだてる」という感じだったので、干渉もそんなになく、それこそ王道から外れた道をどんどん歩いていったと言っても過言ではないです。そこに夢があったから、自分で選んで進んでいった。母親も父親も止めることはなかった。

 

おまえんちいいなーって言われるような家だったと思いますよ。

親が勉強できないから勉強についてもがみがみ言われなかったし、父親がゲーム好きで休みの日は延々ゲームしているような家だったから、よくあるゲームは一日1時間的な制限もなかったし。色々自由だった。

 

その自由を放任に感じるようになったのは何時だったかな。

 

母親にとって、私は「何にも問題がない子」だったんだと思います。

そりゃあ、母親の理想通りに育っていたわけですしね。一般的な人生とはすでにズレてましたけど(笑)

でも母親は一般的な生き方が良いというより、貧乏でも自分の好きな事をやっていけるほうが良い、幸せだろうという考え方だったと思うので、そのズレすらも母親の想定内というか、理想通りだったのかなと思います。

 

ほんと、何も止められなかった。

 

いいのかな、と思うぐらい。

 

普通、中学生で芝居の道に進みたいから高校行かない! 高校と同等の資格もらえる高等専門学校行く! 勉強嫌いな訳じゃないし、正直普通の高校に行ける頭はあるけど、普通の高校行く意味見いだせないから高専がいい! ……ってなったら、高校ぐらいはちゃんと出なさいってなるような気がするんだけど……とか思いつつ、なんの障害もなく希望の学校に受かりました。というより、受験というもの自体ほとんどなかったのですっ飛ばしたというか。

ちなみに物凄い頭が良いわけではないけれど、そこそこの学力はあったので、通うことになった高等専門学校の入学前の実力テストで英語以外1位だったという……テスト終わった後に「うわー、すげー出来なかった……」とか思ったレベルの出来だったのに……。

 

まあ、今更高校行っとくべきだったとか思ってるわけでもないです。高専時代はそれこそ好きな事や興味ある事を色々やれてとても楽しかったですし、お友達も皆個性的で楽しかったですしね。

 

 まあでも、「私は心配してもらえているのだろうか」という思いは、この辺から顕著に感じるようになった気がします。

自由が、放任、放っておかれているような感覚になって。自分自身で物事を決めて進んでいく事は、親が一緒に考えてくれないからという理由の生きていく上での必須事項になって。

 

歳を考えれば、良いことのような気もします。

自分自身で物事を決めて進んでいくなんてことは、それこそ自立の一歩でもあるような気がしますし。まちがっちゃいない。

ではなぜ「私は心配してもらえない」「ほったらかしにされてる」みたいな感覚を持つようになったのかといえば、結局は弟の存在なんですよね。

 

自分自身の足で歩きなさいと言いながら、母親は弟の体を支えてる。そんな感じ。

私は一切宿題を手伝って貰ったり、自由研究のテーマを一緒に考えて貰ったり、苦手な読書感想文の本選びも自分で決めて、夜中3時ぐらいまで珈琲のんで眠気覚ましながら向かい合ってても手伝っては貰えない。

その反面、弟は全てにおいて母親が手伝っていました。就職の面接すら、母親についてきて貰わないとダメなレベルです。

 

高専卒業してうつ患ってからは気にかけてくれるようにはなりましたが、まあ、ゆっくり休ませて回復を待つというか、なんというか。結局、最後は自分の力でなんとかしなさいな感じ。

助言はしてくれるようになりましたけどね。でも、頑張って通うのは自分、みたいな。

 

それも仕方ないなーって思ってたんですよ。

ADHDって言われるまでは。

 

片付けなさいと言われ、部屋の片づけを試みるもののどうにもできなくて、癇癪起こして逆に部屋をぐちゃぐちゃにしたりしても、自分で散らかしたんだから自分で片付けなさい。

興味の無いものに対しての飽きが早くて、なおかつ時間通りに行くという事がなかなか難しいという結果通えなくなったパソコン教室(私はHTMLとかプログラミングを習いたかったけれど、ワードとエクセルから始まったのでそこで飽きた……)。

免許でも取ったら? ということで免許を取りに行ったものの、まさか自分がいろんな情報を一気に扱うのが苦手だとは思わずマニュアルで取りに行って、路上出てパニックに陥って事故りそうになったとか。(二車線三車線あたりでどこに行けばいいのかわからなくなってパニックに陥った)

 

自分で家で出来る仕事見つけてきて文章書く仕事始めたり、友人の手伝いからなんだかんだで仕事するようになったり、芝居への情熱が戻ってきて殆どお金がかからない形で芝居を見に行った結果その劇団に惚れて勝手にオーディション受けに行って受かっちゃったり、確かに自発的にやれることやってたし、やれること色々あったけど。

 

まさか壊滅的に苦手な事があったとは。

 

苦手なことも、慣れれば出来るようになると考えて苦手意識を減らそうと苦手業務のある所に突き進んでみた結果、結局行けなくなったとか。

 

今から思えば、それは完全な悪手ですよね。

 

診断された瞬間に思ったのは、今まで手助けをして貰い続けてきた弟と扱いが違うことは、発達障害のあるなしがあるからであって、自分で出来る自分は自分で頑張らないといけないと思っていた……のにも関わらず私にもあったの?! という思いと共に、 そう診断されたら『母親を憎んでしまう』という気持ちでしたね。

 

かといって、家族のせいにしたくても……我が家は良い家だったんですよ。それが分かってるから、余計に感情の行き場がなくなり、不満も言えない。

流石に母親には色々ぶつけましたけど、そうすると母が泣くから、お母さんが悪いんじゃないってむしろ慰めに行く結果になったりとか。

 

ほんとに、泣かせたい訳じゃないし、今まで頑張ってきた母を責めたいわけでもなくて。んー……なんていえばいいのかわかんなくなってきたなぁ。

 

ただ一つ言えるのは、弟との扱いをあからさまに分けないで欲しかったな、とは思います。

逆に言えば、その一点だけです。私の場合。

母親の理想の子育て論通りに育てられると判断された私と、育てられないと判断された弟。それだけのことだとは思ってますし、母親的には出来る事なら弟も私と同じように育てたかったんでしょうけれど。

 

子育てってのは難しいもんですね。

こうして、理想通りに育ったと思った私みたいなのが人生に困ってて、弟は案外ちゃんと社会人できてたりするんです。……まあ、のちのちの事を考えたら、やっぱり弟の方が不安はデカいだろうけれど。

 

んー。思う事あって書き始めたけど、結果的には何が言いたいんだかわかんない文章になった気がする!